アート思考の時代 課題解決は機械が行い、人は感情解放に向き合う時代へ

今年の春、天気の良い朝にふと思い立ち箱根に向かいました。初日は仕事を終えてから20時過ぎに箱根湯本の駅へ向かったところ、すでに大半の店が閉まっていたため、仕方なくデイリーヤマザキでカップラーメンを購入して1日を終えました。ワーケーションに来た以上は現地ならではの体験をしたいとの思いから、2日目はかねてから行きたかった箱根彫刻の森美術館へ向かいました。

子どもに戻る~ピカソのすさまじい作品の数々と言葉~

彫刻の森美術館にあるピカソ展では、ピカソの若い頃から晩年までに制作した絵画や彫刻など、本当に多くの作品が展示されていました。経済的なしがらみからはとうに解放されている中、亡くなる直前まで作品制作に没頭したことが伺えました。そして、展示作品の間の要所にはピカソの言葉が書かれており、中でも印象的だったのが以下の2つの言葉でした。

「子供は誰でも芸術家だ。問題は、大人になっても芸術家でいられるかどうかだ。」

「ラファエルのように描くには4年かかったが、子どものように描くには一生涯かかった」

この言葉と重ねながらピカソの作品を見ていると、まるで生まれて間もない子どもが真っ白なキャンバスに没頭するようなイメージが湧きました。では、なぜピカソのような才能の持ち主でさえ、生まれた頃には持ち合わせていた能力を取り戻すのに一生涯かかったのでしょうか。これには、アインシュタインの以下の名言にヒントがあると考えています。

「常識とは、18 歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう」

常識、社会性とは

生まれたばかりの子どもは生きていくために必要な食料、住まいなど、すべてを両親から与えられて育っていき、何か自分で課題を解決するといった場面はなく、ただ感情の赴くままに行動します。

これが年を経るにつれて、保育園、幼稚園、小学校へと進み、中学校に入ってからは部活など、集団で過ごす時間が増え、学校では科目学習など課題に向き合う場面が増えていきます。そして、様々な価値観を持つ人が集まる集団行動の中では、時に自分の感情を抑えて周囲に合わせることが必要な場面も増えます。

そして、これまで長年にわたって日本で信奉されてきた「いい大学に行って、いい会社に入る」モデルでは、大学に進学をして、やがて就職活動に向き合うことになり、いよいよ社会に対する課題解決を求められるようになります。

大人になるにつれて、感情を抑える場面や課題解決に向き合う場面は増えていくということが言え、社会に出て何かしら価値を生み出していくために必要なプロセスであると言うこともできると思います。

ただ、さらに年を追ってみていくと、感情を抑えることに慣れることで自分を見失ったり、与えられ続ける課題を解決することで社会において自分が何をしてどう生きたいのか?を見失っていくことが起こりがちで、これが一定数の大人が抱える生きづらさに繋がっているのではないかと考えています。「自分らしく生きたい」と願う人や「子どもには自分らしく生きて欲しい」と願う親が増加している背景には、これらの同調圧力から解放され喜びや楽しみに向き合う場面を増やしたい欲求が少なからずインサイトにあるとも考えています。

では、これらの感情を抑えて周囲に合わせることや、課題解決力を付けていくこと自体が悪なのでしょうか?もちろん答えはNoで、人が社会に所属して生きていく以上、社会性や常識、課題解決力は必要です。

一度大人になって、また子どもに戻る

社会性や常識、課題解決力の必要性と、先に挙げたピカソやアインシュタインの言葉を重ねると、「自分らしく生きていく」ためには以下のようなV字を描いていくことが理想なのではないかと考えています。

生まれてから大人になる、社会に出る過程では常識や社会性を身につけながら、それらを身につけてからは今度はその常識や社会性を携えつつも、自分の感情解放に向かっていくことが「自分らしく生きる」ということなのではないでしょうか。

課題解決は機械が行う時代に

「自分らしく生きる」ということは特にここ数年でよく耳にする機会が増えたように感じますが、これは、かつてモノが何もなく課題だらけだった時代から高度経済成長期や失われた10年を経て、解決すべきクリティカルな課題が日本国内において減ってきているということが背景にあるのではないかと考えています。

実際に身の回りにあるモノやサービスを見ても、今現時点のもので特段の不便がないケースは多く、ただ企業側がリプレイスを行うために機能や品質をアップデートして需要を促しているモノが多くあります。それでも、課題を解決することで企業としては売上を、個人としては収入を確保していくことが求められるため、日々課題を解決し、より便利な世の中へと向かって行っています。一方で便利さと幸福度の相関は戦後と比べると顕著に低くなっていることも言えると思います。

さらに、これからはAIを筆頭に、人の仕事を機械が代替えしていくことも加速度的に進んでいきます。私がデジタルマーケティングに関わっている中でも顕著で、つい数年ほど前までは膨大な作業が発生していた広告の入稿作業を、今ではAIが行い、人が行う作業が激減しています。これは人(マーケター)が行っていた作業(=売上)が機械にシフトしていることを意味しています。

このように、解決すべき課題が減っていき、減っていった課題の中でも機械が解決する領域が増えていく時代において、人が向き合うべき課題はより減っていくことが想像されます。

人は感情解放に向き合う時代に

高度経済成長期のように解決すべき課題に溢れ、日々生きること、課題を解決することに精一杯ながらも充実感を味わえたのだと思います。一方、人が解決すべき課題が減り、不自由なく生きること自体のハードルが下がるこれからの時代は、与えられた課題を解決するだけで幸福度を得ることは難しく、相対的な貧富、経済観点だけで幸福を測って不幸になる人が増えていってしまうのではないでしょうか。

このような時代背景において、人が幸福に生きるための重要な要素が「自分らしく生きる」ということなのだと考えています。そして、「自分らしさとは何か?」がまだ社会性を身につける前の幼少期、自分の感情の赴くままに生きていた頃の感覚を取り戻すことなのだと思います。

課題解決思考をデザイン思考、反対に自らの内なる声に耳を傾けることがアート思考と言われますが、昨今、アート思考が注目されていることも同様の背景があると考えています。

これらの流れは、今教育を受けている子どもたちにとっては学ぶべき要素が変わり、また、大人にとっては「自分らしさとは何か?」の解像度を高めることが重要になっていることを意味しており、アートを主業とするDTとして何ができるか?の考察をより深めていくことの必要性を感じています。

自分らしさの考察

最後に私自身の「自分らしさ」についても考察したいと思います。過去を振り返ると人生のターニングポイントにおいてことごとく周囲の人に視野を広げていただいたり、火を灯していただいており、そしてそのような影響を与えてくださった方々への憧れや畏敬の念が次の行動の動機になってきました。

「尊敬できる、信頼できる仲間とともに挑戦して、誰かに喜んでもらう」ことに自身の感情が解放された多くの経験があり、「尊敬・信頼できる仲間との挑戦を続けるために泥臭くとも自身が成長を続けること」が自分らしさなのだと感じています。ワーケーション先の宿で一人寂しくカップラーメンをすするような日もありますが、それでも仕事に向き合い成長を続ける先によりワクワクする仲間やプロジェクトの出会いがあると信じて前進することをこれからも継続していきます。

橋本